みんなは自分が「ものごころ」ついた瞬間って憶えてる?
これはある意味体験した話
「ものごころ」ついた瞬間は幼稚園にあがる直前だったと思う
今でもはっきり思い出せる、公団の前の広場に3人の子供が立っている
母親は公団の入り口の近くで井戸端会議していた
「僕」の服装はデニムのジャケットにジーンズ、
半そでで半ズボンの2人とは少し違っていた
そのときの「僕」はどうやら自己紹介をしていた、
5才だと指で表していた、そのポーズは少しきざったらしかった
それが「僕」の「ものごころ」の一番はじめの記憶だ
それから幼稚園に通い、小学校で教師に反抗し、
中学で絵に目覚め、高校でデザインを勉強し、美大へと通う
そんな人生をリアルタイムで送っている、20年近くの「僕」の人生だ
ただ最近になって不思議なことがある
「僕」は見ていたんだ
その3人の子供を少し遠くから
【解説】
『ものごころ』の話をしているのに、
文章が「客観的」なものになっている。
3人の子供の中には語り手であるはずの『僕』が
混じっているのに、最後の一文で
『その3人の子供を少し遠くから』
とある。
この語り手は二重(多重)人格であり、
もう一つの人格を通して見たきたころを書いたのだろう。
最近になってようやく『今の語り手の人格』が
表になって出てきた、主人格となったと言えるのかもしれない。