付き合い始めてもうすぐ1年になる。
彼には、妻がいる。
彼はもうすぐ奥さんと別れるって言ってるけど、
そう言い始めてもう何ヵ月経つのかしら。
そんな彼が、最近、新しくマンションを借りた。
「今日からここは君と僕だけの部屋だ」
まだ真新しい部屋には、
ピカピカの家具と
彼が自分の荷物を持ってきた大きなスーツケースだけ。
「今夜はここに泊まっていきなよ」
「ごめんなさい、
今日はそんな気分じゃないわ」
「それじゃ、僕があのスーツケースに入れたら、
君は今晩ここに泊まっていく。
いいね?」
彼は私の答えも聞かずに
スーツケースに入り始めた。
そして、
スーツケースの蓋は、
パチン、と音をたてて閉まった。
「ほら、入れた。
君は今夜ここに泊まっていくんだ」
小さな箱の中から、
くぐもった感じの声が聞こえてきた。
その晩、
私は彼の部屋に泊まっていった。
そう。
何もせずに、
ただ、泊まっていった。
その日以来、私は彼と連絡を取っていない。
【解説】
『スーツケースの蓋は、
パチン、と音をたてて閉まった』
スーツケースは内側から開けることはまずできない。
そして、語り手は
『何もせずに、
ただ、泊まっていった』
と何もしていない。
つまり、スーツケースもそのままにして
開けることせず、
何もせず一晩泊まって帰っていった。
『その日以来、私は彼と連絡を取っていない』
彼は未だにスーツケースの中で連絡を取ることができない。
『今日からここは君と僕だけの部屋だ』
とのことなので、
彼を助けられるのも語り手しかいない。
彼はスーツケースの中で固まって
死んでしまっているだろう…
誰にも気づかれずに…