母親と二人暮らしの少年がいました。
ある日母親が病気で倒れてしまいました。
少年は一生懸命看病しました。
医者はもって1年だろうと言いました。
少年は母親を助けたくて色々な人に話を訊きました。
とある旅人が教えてくれました。
北の山にどんな病気や怪我をした人も救える薬草があると。
旅人は薬草の絵を描いて少年に渡しました。
少年は薬草を探す旅に出ました。
北の山ということと薬草の絵だけが頼りでしたが、
何としても1年以内に見つけようと必死でした。
沢山怪我をしました。ほとんどいつもお腹が空いていました。
それでも少年は頑張りました。
そしてとうとう薬草を見つけました。
もう雪が降る季節になっていました。
間に合ってくれと、少年は急いで母親の元へ帰りました。
やっとの思いで家に付きました。
少年はもうぼろぼろでした。
幸いにも母親はまだ無事でした。
「良かった、これで母さんを治せる」
少年は薬草を煎じて母親に飲ませてあげました。
母親は死にました。
眠っている様でした。
【解説】
旅人の言う「どんな病気や怪我をした人も救える薬草」とは治す意味の救いの薬草ではなく、
楽にしてやれる意味での救いの薬草、つまり毒草であった。
母は少年の取ってきた毒草をのんで死んだのである。
病気が治ると信じ必死に探してやっと見つけた少年としてはやりきれないだろう。
どうせ助からないならそれまで一緒に痛かったかもしれない。
「救い(救済)」にはいろいろなやり方があるが、安楽死も一つの形だとは思う。
事実として、安楽死を望む人もいる。
とはいえ、残された側としては容易に受け入れられるものではないというのもまた事実である。