私は、公園を散歩するのが趣味だ。
虫の声、青い空、周りから聞こえる子供たちの無邪気な声
まるで心が潤われていくようだ。
ベンチでカフェオーレを飲んでいると
いつも一人で遊ぶのが好きな5歳ぐらいの女の子がいた。
私は、その子をかわいいなと思いながらしばし見つめていた。
ある日の平日、その子が夕方になっても帰らないので心配になり
声をかけてみた。なぜならこのあたりで猟奇事件がはやっているからである。
「ねぇ、早く帰りなよ。お母さんが心配しているよ」
しばし、女の子と言葉を交わした後、笑顔を振りまいて彼女はいつの間にか消えていた。
その後、私は彼女とすっかり仲良くなり、よく二人きりでベンチでおしゃべりを楽しんでいた。
「ねぇ、また明日もいっしょに遊んでくれる?」と彼女は言った。
明日は・・・・
でも彼女の笑顔に答えるように「いいよ^^明日はもっと楽しいことしよう。」
「約束やぶっちゃいやよ。ゆびきりげんまんしよっ^^」
「ゆびきりげんまん、嘘ついたらハリセンボンの~~まぁすっ、ゆびきった^^」
【解説】
『いつも一人で遊ぶのが好きな5歳ぐらいの女の子』
猟奇殺人の犯人はこの女の子。
猟奇殺人の内容としては、
『ゆびきりげんまん、嘘ついたらハリセンボンの~~まぁすっ、ゆびきった^^』
というところからきているのだろう。
拳骨で1万回殴られ、
針を1000本飲まされ、
指を切られる。
立派な猟奇殺人である。
しかし、これは「嘘をついたとき」に限定されるはず。
今回の語り手は
『明日は・・・・』
ということから、何かしら用事があったと思われる。
だから、翌日以降嘘をついたことになるので、
語り手は猟奇殺人の被害者になってしまう。
5歳の女の子が純粋であり、素直すぎるからこそ、
起きてしまった犯罪なのかもしれない。
『ゆびきりげんまん』を行ったのに、
その行動をしないこと自体も嘘になってしまうのだから、
この世の中、嘘に塗れている…と言っても良いのかもしれない。
そう思うと少しぞっとしてしまう。
そして、今回の内容であるが、
語り手自体が猟奇殺人の犯人、と考えることはできないだろうか?
『その子が夕方になっても帰らないので心配になり声をかけてみた。』
猟奇殺人がはやっているから、心配になって声をかけたみたいだが、
いつも一人でいてターゲットにしやすかったからこそ声をかけた、
とも受け取れなくはない。
また、
『ねぇ、また明日もいっしょに遊んでくれる?』
という女の子の言葉に
『明日は・・・・』
といかにも予定がありそうに考えている。
しかし、これは
『明日は遊ぶのではなく、女の子を殺すため即答できない』
のかもしれない。
本当のことを言ってしまうと相手の笑顔が崩れてしまうから、
『いいよ^^明日はもっと楽しいことしよう』
と言った。
語り手にとっては、楽しいことなのだから、
嘘ではないだろう。
しかし、この考え方だと、
最後の指切りの部分がおかしくなってしまう。
猟奇殺人も『はやっている』みたいだし、
犯人は二人だった…ということになるのかな、
この考え方だと。
(流行のようにたくさんの人が行っている意味合いで使われたら、
正直非常につらいものではあるが…)
それにしても、『ゆびきりげんまん』の意味がわかってしまうと、
正直怖いものがある。
元々『ゆびきり』というものは、
『江戸時代の遊郭』に関係しているらしい。
遊郭の遊女は様々な男性と関係を持っていたため、
本気で好きになった男性に愛を伝えるためには
左手の小指を切り落として、相手の男性に贈ることで
自分の誠意を示していたそうな。
正直送られても困ると思うが…。
左手の小指を切り落として誠意を示すとか、
どこかで聞いたことがありますね、ぇぇ。
まぁ、それは良いでしょう。
先ほどの話に戻ると、遊女の風習が庶民にも伝わり、
子供達が真似事をし始めたことで伝わっていった。
『ゆびきりげんまん』の歌詞には多数存在し、
「指切り、兼ねきり、嘘言うと指が腐るぞ。」
「指切り、兼ねきり、高野の表で血を吐き、来年腐って又腐れ。」
というものまであるらしい。
これに足されたものが、
『嘘ついたら針千本飲ます』
というもの。
つまり、この『ゆびきりげんまん』の歌詞の意味は、
私はあなたを愛しています。
その証拠に私は指を切ってあなたに贈りました。
もしあなたが私を裏切ることがあれば、
拳骨1万発と針千本を飲ませます。
私は指を切ったのだから、そのくらいは当然の仕打ちでしょう。
という感じになるでしょうか。
正直今の時代だと狂気じみたものを感じますね…。
昔の童謡などは本当に怖いものだと思います。