うちのクラスにはAという嘘つきがいた。
担任は嘘をつくと決まって、頬をつねるというお仕置きをしたが、
それを楽しむかのようにAは嘘をつき続けた。
それから数日後、そのAが突然、姿を消した。
警察、地元住民が協力して捜索にあたったが、結局Aは見つからなかった。
そこで先生と児童たちはAの両親を励まそうと自宅に訪れたが、
憔悴しきったその姿を見て、かける言葉を失った。
ところがAの親友Bが
「○×公園で、A君見たよ。」
つい、口から出た優しい嘘だった。
一瞬、周りの空気が凍ったかに見えたが
「そうかい。じゃあ明日、行ってみるよ。」
Aの両親は嘘だと気づきながらも、笑顔で合わせてくれた。
それを見た周りの児童も後に続くように
C「近くのスーパーで見たよ。」
D「僕は駅で見た。A君、笑ってた。」
E「学校のトイレでうんこしてたぜ。」
F「町外れの廃墟の2階…窓から手を振ってた。」
G「学校の給食室でつまみ食いしてました。」
その励ましとも取れる子供たちの嘘に、Aの両親は思わず涙を流した。
帰る途中、担任が
「ありがとう、みんな。優しい教え子たちを持って先生はうれしいよ。」
そう言われると児童たちは照れくさそうに喜んだ。
「でもね、やっぱり嘘はいけないことよ。」
そういうと担任は児童一人一人の頬をつねり始めた。
「マジかよ、先生~」
「ハイ、これで終わりっ」
「あ、先生、F君つねってなーい!」
すると担任がうっかりとした表情で
「そうね、手を振ってるわけないもんね。」
【解説】
『そうね、手を振ってるわけないもんね』
手を振っているわけがない、となぜ断言できるのか?
それは先生がAを殺して死体を廃墟に隠した犯人のため。
F君が見たのはAの幽霊であるが、
先生は死体を廃墟に隠したこともあり、
廃墟で化けて出てきてもおかしくはないと思ってしまった。
そのため、F君だけはつねらなかった。
しかし、周りから見ればそれを肯定してしまうのは不自然である。
先生としてもAが幽霊として出てきて欲しくはなく、
Aが幽霊として出てきた事実も含め「嘘」としてまとめたいという気持ちも
あったかもしれない。