中学校の頃、おそろいにすることが好きな友達がいた。
文房具、洋服はもちろん、
その子はなんでも私とおそろいにしたがった。
「全部おそろいにできたら嬉しいかも」
なんて笑いながら言っていた。
私は幼くして両親を亡くし、親戚の家で世話になっている。
そのことがコンプレックスだった。
だから、両親ともに健在で、
なんでも買ってもらえるその子が妬ましいし、悔しかった。
おそろいが嬉しくないと言ったら嘘になる。
その子のことは嫌いではなかったし、むしろ仲が良かった。
今でもその子とは手紙でやり取りをするくらいだ。
ある日、彼女は学校を休んだ。
珍しい、と思った。
放課後、家に帰っても誰もいない。
それはいつも同じ。
さみしいけど、困らせるのは好きじゃない。
夜になっても帰ってこない。
今日は仕事が長引いているんだなぁ。
突然電話が鳴った。
彼女からだった。
「もしもし」
と言ったきり彼女は無言。
変だな?と思っていると、
彼女が一言だけポツリとつぶやいた。
「全部おそろいになったね」
【解説】
『ある日』以降、
語り手が変わっている。
前半に出てくる、
『おそろいにすることが好きな友達(その子)』
というのは、後半の語り手であり、
後半に出てくる、
『彼女』
というのは、前半の語り手である。
前半の語り手が
『おそろいにすることが好きな友達(その子)』
の両親を殺すことで、
『おそろい』になった。
『今でもその子とは手紙でやり取りをするくらいだ』
とあるが、『中学校の頃』とあるので、
最初の語り手が少年院に入ったために、
手紙のやり取りとなっている?
とはいえ、後半の語り手は
『さみしいけど、困らせるのは好きじゃない』
と言っているため、
両親のことは好きだったはずであるため、
両親が殺されたのであれば、
すでに友達だと思ってはいないと思うのだが…
そのため、手紙のやり取りをしていても、
手紙の内容は恨みつらみでいっぱいなのではないだろうか…。
後半の語り手が
「おそろいにすることが好きだった」
ために起きてしまったこと。
こんなことが起きるとは予想できるはずもないが、
慎重に言葉選びをしなければいけないのでは?
と思わせられる話である。