「ちっぽろに来た!ちっぽろ!ちっぽろ!」
私の娘は私の実家へやって来ると、
必ずこれを連呼する。
語感が面白いらしい。
そんな無邪気な娘とは裏腹に、
私は望郷の念に支配されていた。
子供の頃、よく遊んでた川を通ると、
ふいに電信柱の貼り紙に目が止まった。
『探しています。真鍋美佐子(まなべみちこ)ちゃん(当時7歳)』
親友だった美佐子…
寒い冬に一人でお使いに行ったっきり、
消息が分からなくなってしまったのだ。
未だに見つかっていないとは…
そんな過去を思い出していると、
私たちの横を地元の子供たちが通り過ぎた。
「たくや君とくるみちゃんか」
当時、私が付けていた大きな名札を今の小学生も付けてるとは…
私は少し嬉しくなった。
「ねえママ、みちこちゃんってお友達なの?」
娘の突然の問いにしばし戸惑ったものの、
すぐに私は理解した。
「さっきの貼り紙のことね…あれは間違ってるの。
みちこじゃなくて、みさこよ。」
【解説】
娘は「さ」を「ち」と読むと思っている。
なので、『ちっぽろ』とは「さっぽろ」のこと。
なので、
「さ」を「ち」と間違って読んでしまうことは
文章中で読み取れるが、
「ち」をどのように読むかは文章中からは読み取れない。
「ち」はそのまま「ち」と読むのだろうか?
それとも「さ」を「ち」と読んで、
「ち」を「さ」と読む?
読み方については何とも言えないところであるが、
そもそも美佐子の存在を知らないはずの娘が
美佐子を「お友達」だと思ったのはなぜか?
おそらく平仮名の名札をつけた美佐子が
母親の近くにいたのだろう。
母親には見えない存在として。
なので、「ち」をどのように読んだのかは
あまり気にしなくても良さそうだ。
それよりも怖いのが、
探している対象の名前を間違えていることである…
一体何を思って間違えたのか…
間違えたのであればすぐに変えてしまえばいいのに。
名前を間違えていることには何か意味があるのだろうか?
なんとなくその謎が怖い。