私は数年前に事故で障害を持った。
知り合いも見舞いに来て励ましてくれたが一ヶ月間ぐらい酷く落ち込んだ。
そんな私を救ったのは歌だった、歌は私の唯一の得意なものであり生き甲斐だった。
それから毎日歌った、朝も昼も夜も、毎日毎日、だって私の得意分野だもの!
色んな人に歌って聴かせた、友達は泣いたお母さんも泣いた、
「元気そうで良かった…」だって!少し照れる
その後単身赴任していたお父さんにも聞かせてあげた、するとお父さんの顔が歪んだ。
そしてお父さんは走って部屋を出て行った、ドアは勢いよく閉めた、と思う。
【解説】
『ドアは勢いよく閉めた、と思う。』
この一文から語り手は聴力を失ったことがわかる。
『色んな人に歌って聴かせた、友達は泣いたお母さんも泣いた』
得意分野だった歌も聴力を失ったことにより、
上手く歌うことができていないのだろう。
そのため、
『元気そうで良かった…』
という言葉しかかけることができなかった。
『その後単身赴任していたお父さんにも聞かせてあげた、するとお父さんの顔が歪んだ。
そしてお父さんは走って部屋を出て行った、ドアは勢いよく閉めた、と思う。』
ということから、父親は語り手の歌に耐えられなかったのだろう。
昔できたことができなくなっているところを見てしまうと、
やはり事故のことが悔やまれてしまう。
語り手は気持ちよく歌っているが…
気付かないからこそ周りは悲しくなってしまうのかもしれない。